昭和のIT社員

家族が発熱したため、三連休の旅行予定がキャンセルになってしまい、粛々と看病に勤しんでいました。

看病の合間に、はてなブログサーフィンをして楽しんでいたところ、とあるブログで私の元上司と同じ元SEの70代とおぼしき男性が「社会と繋がっていたい」という趣旨の文章を綴られていて、なんだか切なくなりました。

ここからは昭和のIT会社の話です。ほぼ思い出し話なのですっ飛ばしてもらって全然大丈夫です。

今の時代からは想像しにくかもしれませんが、インターネットやWindowsがまだ出回っていない昭和にもIT会社はありました。データをでっかい磁気テープに落としてでっかいコンピュータにセットし、プログラムを走らせて請求書を出力するなど情報処理を生業としていました。なんでもでっかかったなあ。私が就職したのも昭和の末でそういう会社でした。現役友人によると、当時主流だったプログラム言語もとうとう終わりを迎え化石言語になるようです。ですが、当時はそれで社会の大量の計算を支えていたわけですから、このブログの男性もきっと活躍されていたんだろうなと想像します。いや、もしかするとこれを読んでいる人の中には親がそういう仕事をしていた、という方もいるかもしれないですね。

懐かしい話を続けちゃいます。平成になって、ただの端末がMacPCになり、Windowsが出たらMS-PCに入れ替わり、電話回線でテキストデータのやりとりをしていたのがインターネットになり、床下に配線が敷かれ、オープンシステム開発(今は死語か)が主流になり、パッケージシステムが海外から入ってカスタマイズ開発を始めたりと…どんどんスピードアップしていく時代でした。今はもう全然ついていけない状態なのはいうまでもありません笑。DOSができる人やPCをマザーボードから組み立てられる人は尊敬されていたのが懐かしい笑。IT業界でなくても、現場の変化を目の当たりにしてきた方はたくさんいらっしゃると思うし、今となってはあらゆる業界にAIが導入されて、どんな世代の人もいつも変化の嵐に晒されているように感じます。

私は子育てと両立する自信がなく退職してしまったわけですが、上司とは今でも年賀状で繋がっていて「定年退職しました」「70歳になりました」と年々お便りが来ます。そんな時代を共有させてもらった上司がもう後期高齢者に近づいたのかと思うと切ないです。まあ、ご本人は元気でいらっしゃるので何かの活動をされているかもしれませんが、ブログの男性のように「社会と繋がっていたい」という気持ちでブログが一つの支えになっている人も多いでしょう。私もそうかもしれません。これからもいろんな人のブログを読んだり書いたりを楽しみたいです。